「そういえば、私、ファザコンだったよね?」

父の日に贈るメッセージは?
 そういえば、父の日も、母の日も、なんの行事もしていないが。

 コドモの頃は、ファザコンだったと思う。母にもかなり、非があった。私を叱るときに、枕言葉のように、
「パパに似て」
「パパそっくり」
が、つくのである。

 子供心に、父に肩入れするのも仕方ない。

 父と母は、似ていないと思った。
 子供と同じ目線で遊んでくれる父と、そんな父に呆れて見せる母。自分の価値観を大事にして、興味範囲外はおろそかにしがちな父と、外からの評判を気にして、なにもかも「きちんと」したがる母。私を叱るのは母で、取り成してくれるのは父だった。

 父と母が違い、父と自分が似ているということは、私は母とは違う、ということだった。
 目の前にいる母を、自分の将来に重ね合わせることができなかった。独身時代は親元にいて、結婚して家を出て、家庭をつくって母親になる。そういう自分を思い描くことができなかった。

 両親とは違う人生を歩みたい。

 勤務地まで、1時間ちょい。通えない距離ではないにもかかわらず、一人暮らしを始めた。私にとって驚いたのは、それまで私が何をしても反対するような気がしていた母は、あきらめ顔で認めてくれ、
「女の子の一人暮らしなんて」
ひどく陳腐な言葉で反対したのは父だった。私は、半ば強引に話を進め、家を出た。

 一人暮らしの条件は、一週間に一度、実家に帰ることだった。
 ある日、ドアベルを押すと、
「お帰り」
 と声がするばかりで、迎えに出てこない。勝手に鍵を開けてはいる。父と母は、向かい合って碁を打っていた。母方の祖父が碁が好きなので、相手になれば、と、習いはじめたのが、母が碁を始めたきっかけだった。だが、長年碁を続けていた祖父に追いつくわけもなく、母自身が碁の面白さに開眼して、父に相手をせがむようになったらしい。父は、嬉しそうに、母の相手をしていた。
 碁盤をはさんで向き合う両親は、なんだかひどく似て見えた。
 若いころ、あんなに違って見えたのは、子供の見誤りだったのだろうか。それとも、長い年月が二人を近づけたのだろうか。よくわからない。確かなのは、一人暮らしで距離をとったことが、私に両親をあらめて見直す機会を与えてくれた、ということだ。

 今は、二人は、碁を打っていた家をひきはらい、マンションに移り住んだ。母方の祖父は今春逝った。
 私は、といえば、ここ何年間か、父とも母とも、喧嘩をしていない。

「私、昔、ファザコンだったよね?」
 父の日に贈るメッセージ、というには、ズレてしまったけれども。
 今、面と向かって父に言ったら、父はどう答えるのだろう、などと、これを書きながら想像してしまった。
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風邪をひいた。

金曜日。勤務先で喉が痛いは、頭は痛いは、いつもにましてボーっとしてるわ。
これは風邪を引いた、と思ったが、仕事もあるし、深夜に帰宅。

体温を測ったら36.5℃。なんだ、大丈夫じゃないの、と、寝て。

ふっと意識が戻ったのは、土曜日、午後7時。

おいおいおい、もう夜だよ。

何時間飲み食いしてないのだろう、と、理屈で思うが食欲はない。
再度、体温測定、38℃。

無理にも食事をして、薬を飲んで。あまりにもたくさん寝て、さすがに眠気はないので、こんなものを書いている(w。
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ネトゲに夢中でした、でも。

あなたが夢中になれるものは

もともと、SFファンである。SF小説を読み、拙いながら、書いてもいた。

SF仲間のなかには、ファミコン→プレステ→プレステIIと、ゲームを追い続けている人もいた。
それはそれで楽しそうだったのだけれど、私は頑固に小説というメディアにしがみついていた。
一つは、小説は読むこともできるし、書くこともできる。与えられる側・与える側の相互交換性。たとえ未熟な作品であろうと、可能性として方向は逆を向きうるのだ。

そんな私をネトゲ(ネットワークゲーム)の面白さを教えたのは、やはり小説を書く若い仲間たちだった。

その1人は、あるゲームメーカーに勤めていた。つまり、私はゲームをする側にすぎないにも関わらず、ゲームを作る側の視点をある程度、分け与えられたのである。

たぶん、ゲームを「作る側」から見るという、ある種の妄想が、私をゲームにのめり込ませた一因だったと思う。

もう一つの要因は、ネトゲにおける他のユーザーの存在だ。仲間がどう動くか。誠実か。ゲームに勤勉か。知識はあるか。作戦に巧みか。それが勝敗を左右する。いわゆる、インターラクティブというやつ。

遊べるオトナ、とかなんとか言いながら、私は、ゲームの楽しさにのめりこんだ。いつのまにか、私は、物を書くことをやめていた。

 □

数年前。自分のサイトを作ったとき、私は自分の古い雑文を掘り返して、自分が書いてみたいテーマはほとんど書いてしまったような気分に浸ったのを覚えている。

だが、ごく最近。読み返すと、違和感があるのだ。自分が以前書いた文章が、今の自分とは違ってしまっている。ゲームにかまけて書くことを怠けているうちに、私のなかにはまた、言葉にして外に出せるだけ何かが貯まっているらしい。

──もう一度、何か書いてみようか。

そんな気持ちで作った、このブログなのである。
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少しだけ、手を入れる

■古い雑文■2002/08/28 (水)  Green,Green
緑が好きになったのが、いつだったかは忘れた。

思い出せる最初の記憶は、幼稚園のころ、他の女の子のように「赤」や「ピンク」が好きになれなくて、自分が「アマノジャク」であることを自覚し始めたことである。

ごく最近になって、ある方から、私のオーラが緑だと言われた。黒に近い緑に、蛍光グリーンの班があるそうである。オーラが強い、という意味ではない。彼女には、全ての人に、オーラが見えるという。だいたいの人間が、自分が好きな色のオーラをまとっているとのことである。

私には、実は、オーラというのはよくわからない。でも、尊敬する友人から、「緑」と言われたことがひどく嬉しくて。

それで、このサイトは、こんな色あいなのです。


■今の気持ち■

このブログのもともとのCSSにほんの少し手を入れて。茶色系からグリーン系へ。

上記の友人は霊が見えると言った。何かをじっと注視して、
「ねえ、あれ、本当に見えないの?」
と笑った。

それまで霊が見えるという人々を否定しがちであった私は、彼女が、霊を過度に恐れもせず、霊が見える自分への特別視も要求しないことに、強い印象をうけた。彼女にとって、霊は、他の「物質」と同様の森羅万象の一角であるように見えた。

そういえば、彼女のサイトもしばらく尋ねていない。今日あたり、行ってみるかな。。。
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やっぱり、メール派

あなたは電話派? メール派?
 かつてある人に、「電話は暴力だ」と言われた。
「かける側の都合だけでかかってきて、受ける側の時間を奪う」
 そうだな、と思って、私はメール派になった。

 携帯電話でメールをチェックできるようにし、小さな端末を持ち歩いて返事を書く。電話は、ほんとうに緊急な時しかかけない。

 自分が口べただとは思わないが、頭の回転は高くない。何かをきちんと伝えようとすると、考えが言葉を話す速度においつかない。書いてみて、伝わっているかを読み返し、推敲する。その癖がつくと、電話はますます億劫になっていった。

 そして数年。くだんの「電話は暴力」の人に、こういわれた。
「どうしていつもメールなのかな。電話ならすぐ済むのに」

 そう言われた後も。私はやっぱり、メール派である。
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