最近、食器を買った。

真っ白な丼に白飯を盛って撮ったら、なんだかひどく不味そうだったので、茶椀は少し色の入ったものを買った。あとは楕円の皿が最近の購入物である。
我が家の食器は、ほとんどがひどく安物だ。一人暮らしを始めた年に、経済的に、大変だったせいである。ベッド、机、ちゃぶ台といった家具類に、「ボーナス払い」を宛てていたため、それ以外のものについては「クレジットカードでボーナスまで支払い延期」という技がいっさいつかえず、毎月の生活費は月給のなかでやりくりをしていた。給料前は、数百円で1日を、あるいは2日を過ごさなければならない、などということが何度もあった。
だから、独立当時に買った食器は、近所のスーパーで数百円クラスだったものばかり。
そういう器は存外に丈夫で、軽く落としたくらいでは壊れない。しかもわが家には小さな子供もいないし、私も(物理的に)暴れたり皿を投げたりはしない。いまだに、我が家の食器のほとんどは、そのころのものが占める。しかも私は(そんなに料理好きでもないくせに)変に調理器具を買いこむ癖があり、広くもない台所で食器は小さな食器棚にぎゅうぎゅうと押しやられ、経済的に少し余裕ができてからも買い換える機会はなかなかなかった。
しかし、最近、ブログで食事の写真を載せることがある。凝った料理でも、上手い写真でもないことは判っているのだが、それでも、食器がどうしても侘しい。発作的に、「これはもうイヤだ!」という食器をダンボールに詰め込んで、脇にのけた。食器棚のなかは、ようやくすこし見通しがよくなった。これでまた野放図に買うと元の木阿弥なので、どうしても欲しいものだけを買い足すことにした。
ひとつは、飯椀。もうひとつは、皿が欲しかった。私はそう大食ではないので、大きな丸皿いっぱいに肉や野菜を盛ると食べきらない。大きな皿に空間を見せて少量を美しく盛る、なんて技も持たない。かといって皿が小さいとなんとなく淋しい。その点、楕円の皿は使いやすいし、狭いテーブルの上でもスペースをとらない。
ある日、なんだか妙に「いい」器ばかり置いた、小さな店に迷い込んだ。そこに、好みにあう楕円の皿が、いくつもあった。1000円よりは上だが、2000円まではいかないくらいの価格帯。4人家族で揃えるのだとちょっと元気が要るが、一人だとその点気軽だ。
物色をしていたら、愛想のいい女主人が出てきて、「この作家さんはあっちにもあるよ」などと、別の棚にあるものも出してきてくれる。
「なんかこの店、すごくいいけど。作家さんのものなのです?」
「作家もの」というには、価格が「お手ごろ」である。
「うん、まぁね。あっちこっちから、少しずつ、いろいろ預かって売ってるの」
要するに、「まだ有名ではない」作家が作っているものを、集めているらしい。これはどう、あれはどうと紹介してくれるのが嬉しそうで、この女主人は本当に陶芸が好きなのだろうと思った。
楽しく迷いながら、写真の1枚に決めた。淡いグレイにモノトーンの模様がある。
「このごろブログに料理の写真を載せるので……。ちょっとだけ贅沢しようかと思いましてね」
「ああ、そういうお客さん、最近多いんですよ」
多くのものが機械製になる時代、ブログというコンピュータシステムが、手づくりの陶器が売れる動機づけになっているとしたら、──なんだか楽しい。
by as-o2
| 2009-06-28 00:35
| 日記のようなもの。