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『明治の聖歌ボーイ』'94・11

 ちょっとタイミングを逸しているのですが、文豪さまの別宅「祖母の宝物」に触発されて、古~い雑文を虫干しアップ。




明治の聖歌ボーイ

'94・11

 彼は、兵庫の地主の家に生まれた。質屋もやって小金を稼いでいて、けっして、評判はよくなかったようだ。幼い頃、自分の父の非情を責めて泣く、貧しげな女を見たのを覚えているという。
 父親はクリスチャンではなかったが、なぜか、息子をミッションスクールに進ませた。金が人にどういう影響を与えるか目の当りにしながら育ってきた彼は、この学校で神父たちに学ぶ身となった。その影響で洗礼を受けたのだから、思うところがあったのだろう。しかし、本人が好んで語ったのは、聖歌の練習のとき、あまりに音痴なので、外人の神父に、
「そこ、黙る」
と言われたという話くらいである。

 大学は東京へすすんだのだが、帰郷の折りでもあったのか、国元の団子屋の看板娘に恋をした。明治の学生であるから、恋文も57577で書いたりしたらしい。
 結婚とは、家と家がするものであった時代である。地主なりの格式を重んじる父親は激怒し、この娘に金を渡して別れさせようとした。自分の息子は、ある二階屋に閉じ込めた。
 親戚たちの話では、この二階から雨樋を伝って逃げたという。しかし本人に言わせると、
「1階から出た」
そうだ。父親に頼まれて身柄を引き受けたものの、出してくれた人がいたのかもしれない。
 二人は、横浜に居を構えた。彼は長男だったのだが、質屋は継がずに、銀行へ勤めた。
 長男が生まれ、長女が生まれ、ようやく頑固な父親も折れて二人の結婚届に判をついた。それでも、姑である母が妻をいびり出すのではないかという恐れで、銀行からの外遊の話を断わっている。

 父親が死んだのちに継いだ財産を、農地改革でほとんど失った。
 その時の価格があまりに安かったというので、昭和の後半何やら補償金というものが出た。そういうとき、
「複雑な気持ちだろうなぁ」
というのは彼の息子ばかりで、本人はただ、
「おいしいものを食べにいこう」
と、いって、幼い私なども分不相応な店へ連れて行ったりした。

 彼というのは、私の父方の祖父である。農地改革という言葉を聞く時に私が思い出すのは、祖母の死後ほぼ1年たったある日、ソファでうたた寝をしたまま目を覚まさなかった祖父のことだ。彼は妻を愛していた。子らを。そして自分自身をも、愛する人だった。しかし、地主の家に生まれた事をどう思っていたのか、私に話してくれたことはなかった。
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