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コロナ籠城生活 コロナのココロ

 まず最初に。
 私は、同じ思考をぐるぐると繰り返す悪癖があるのだが、なぜか書いて公表するとそれを止めることができる。なんかようわからんビョーキのようなものである。これは、ぐるぐるを止めるために、書いて、ブログに投げるシロモノである。誰かに何々してほしい、という意図がないことをお断りしておく。




最初はコロナを舐めていた

 最初は、コロナを舐めていた。風邪やインフルと大差なさそうなのに、「知らないウイルスだから、怖がってるだけじゃない?」と疑問符をもっていた。通勤にマスクもしていなかったし、外食も平気でしていた。
 「風邪やインフルと大差ない」という思い込みの源はいろいろあるのだけれど、中でも大きかったのは、たぶんこれだ。
新型コロナウイルス感染力、重症度、診断、治療について
1)感染力はインフルエンザと同程度かそれより弱いと言われています
2)重症度は、通常のインフルエンザなどと同程度と予想されます(例年のインフルエンザでも高齢者や免疫力の低下した方など重症化し死亡する場合が一定数みられます)(中略)
5)感染しても多くの方は症状が出ないか、少し長めの呼吸器症状で完治すると予想されます

東京都医師会危機管理対策協議会(2020年2月13日)


 医者がいうのだから、マスコミよりもあてになる、と受け取っていた。

 行政の要請に応える形で勤務先がテレワークになってからも、「別宅」にいる間は毎日コンビニにでかけて食料を調達した(別宅には炊事の設備がない)。本宅に移ったのも、「箱ティッシュの在庫が切れた」という些細だが切実な事情で、何か考えるところがあったわけではない。

 武漢やイタリアの医療崩壊は、知らないわけではなかった。とくにイタリアで命の選別(トリアージ)を要する惨状になっているらしい。「設備があれば助かったと思われるのに、設備が足りないから、見捨てざるをえない」という状況。
医師にのしかかる患者「選別」の重圧 新型コロナ
 日本では、ありえない。漠然とそう思っていた。

ところが。

 
 ところが、下記の記事と、永寿病院のメガクラスター発生が、私の「お気楽気分」を塗り替えた。
東京都内の感染症指定医療機関には大きな負荷
「危機的な状況」という言葉より、数字が効いた。
>東京都の患者数はすでに指定病床数118を大きく上回っています。 170/118
 「ありえない」と思っていた医療崩壊が、急に至近距離に見えた。
 それ以上に、「私にとって」インパクトが大きかったのは、永寿病院の院内感染と診察休止の報道だった。
 たぶん、多くの方にとっては、「どこかの病院で院内感染があった」という記事だと思う、のだけど。
 私にとっては、3年前から2年前にかけて、1年間通った病院で。しかも、印象はとても良かった。大きな病院だから、全部の医師や看護婦のことはわからないが、私が関わった医師・看護婦は、患者視点に立ってくださる方ばかり。「断らない病院」というキャッチフレーズも頷けると思っていたのだ。「あの病院が!」という衝撃があった。

 なんだかんだ理屈をこねたところで、結局、私を方向転換させたのは、「知っているもの=通っていた病院」が「未知のもの=コロナウイルス」と繋がる、皮膚感覚だった。理性ではない、感情の部分。……理系モノとして、口惜しいことだけれど。
 ぞわぞわとあれもこれも手につかなくなり、何をしでかしたかというと。……マスクを手縫いしてしまった。
 縫物大嫌いなのに! 通勤にもマスクしていなかったのに! 3/28-29の週末あたりは、本当に、それくらいしか手につかなかったのだ。
コロナ籠城生活 コロナのココロ_a0024690_00574703.jpg

(これは使い物にならなかったプロトタイプ)
(使うことにしたほうは写真出さない、身バレだからね)

インフルエンザとコロナの違い

 今でも、インフルエンザの死者数とコロナの死者数を比べて、「コロナは大したことはない」と主張するツイートはたくさんある。私が最初に受け止めていたように。

 対して、この動画は印象的だった。
Youtube: Coronavirus is not the flu. It's worse.
 R0という数値で、インフルエンザ1.3・コロナ2.5。似ている、近い、と感じてしまう。「感染力が同程度」「重症度が同程度」でも、「多くの方は症状が出ない」ことがかえって感染を広げていく。また、動画は触れていないが、「長めの症状」であることが入院ベッド数を圧迫するともいう。 インフルエンザとコロナは、似ているが、違うのだ。

 日本で、インフルエンザで、病床が足りなくなったことがあるのだろうか。大きな病院が休止になったことは? あるのかもしれない。ただ、私は聞いたことがなかった。
 今、私は、コロナが怖い。「知らないウイルスだから」ではなく。命の選別(トリアージ)の事態になるのが怖い。

 問題は。失われる人命を最小にする戦略と、経済的な打撃を最小にする戦略が、たぶん、違うということ。どちらの視点にしても「最小」を得るための、データも策も、私は持っていない。まして、その二つの「最善のバランス」なんて、皆目見当がつかない。

 だから、「この社会にとっての最良」にたどりつくことは、諦めることにした。
 私は、「私の精神衛生」のことを考える。今は、必需品の買い物以外で家を出ることは「私が」楽しくない。まっとうなマスクを探すことも「私が」楽しくない。私が買わない分のマスクが医療関係者に回ることを夢見て、どうみてもみっともないマスクを手縫いしているほうが、「私が」マシなのだ。

 そして、忘れずにいようと思う。これが「私の」選択であって。誰かに押し付けるほどの根拠が、自分の手にないことを。