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ウソをつくためには、事実を知っている必要があるよね?

http://aso2.exblog.jp/12442341/で、斉藤和義「ずっとウソだった」
について、書こうかと思って書かなかったことがある。

 書かなかったのは、ほぼ日P「東電の歌」の“ネタばれ”だから、というのもあるんだけども。



 斉藤和義は、「ずっとウソだったんだぜ」「俺たちを騙して、言い訳は想定外」と歌う。だが、「ウソ」「騙す」という言葉には、「事実を知っていて、故意に違うことを言う」というニュアンスがある。
 私には、東京電力の技術スタッフや経営陣がこの現状が起こること=事実を知っていたとは、どうしても思えない。彼らは彼らなりのコストと想定リスクのバランスのなかで、必要だと信じることをしていたのではなかろうか。ただ、彼らの想定は間違っていた。間違っていたことは、今となっては、確かだ。
 ただ、「ウソ」と「間違いを信じていた」ことは、違う。差は故意の有無。いわば、殺人と過失致死の違い。過失致死もまた、「無罪」とは別のものだ。東電の間違いが許されないことなのか、それとも神ならざる人間としていたしかたのないことだったのか、そこは、私は、判断がつかない。
 もしも斉藤和義に、「彼らは0311の津波がくることを知っていたと思いますか?」と尋ねたら、「それは知らなかったでしょうね」という答えが戻るだろう。「では彼らが“故意に”ウソをついていた、という、貴方の歌詞もまた、“ウソ”なのでは?」そう問いかけたら、どういう答えが戻るのだろう?

 前回の記事に「ずっとウソだった」と並べて出した、ほぼ日Pの「東電の歌」。この歌詞がそのまま、ほぼ日Pの主張かというと、そうじゃないと思う。この方の歌をある期間追ってきて思うが、そこまで単純な人とは思えないw。「東電なんて、きっとこんなことを思っているんじゃね?」という歌詞じゃないかな? そういう意味では、たしかに「東電を全力でdisって」るのだろ、と思う。でも、その半面で、この歌に「ずっとウソだった」へのイラだちも、また、篭められているんじゃないかと感じる。

『人生の諸々のリスク』(ほぼ日P)



追記:この記事を書いたあとで、こんな動画を見つけた。
「忌野清志郎 斉藤和義 空がまた暗くなる」
この動画を見て、ほぼ日P「東電の歌」中、なぜ忌野清志郎の「サマータイムブルース」(1988年にリリースされた反原発ソング)が持ち出されているのか、やっと判った^^; 共演してたってだけじゃなく、歌い方の似せ方とか見ても、斉藤和義は、忌野清志郎がほんとに好きなのだろうなぁと感じてしまう。