<   2004年 06月 ( 12 )   > この月の画像一覧

選挙に・いってみよう

 選挙に行くためには、長い坂道を下って、会場の小学校まで行かねばならない。坂道は車が多く、けれど、まっとうな歩道がないので、危なくてしょうがない。道を作ったときは、きっとまだ車が少なかったのだろう。だが、今は、かなりの交通量である。

 裏道から行く手を開発すればよいのだが、その通りは大きく蛇行しており、その曲線の行き先に、どの裏路地を通れば行き着くやら、はなはだ怪しい。方向音痴は、私の家系でもある。

 そして選挙を済ませれば、もちろん、行きは下った長い坂を、えんえんと上がらなければならないのだ。

 だが、今回は行ってみようかと思う。で、選挙に行くことにしたのは、よその選挙区のこんなポスターのせいだと、言ってみたいと思う。


 
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塩ジャケ

何杯でもごはんが進むおかず
塩ジャケが好きである。今は魚グリルがあるので、グリルを十分に熱したあとで、焼き網にシャケを置いておもむろに入れる。
ジュウジュウと脂が落ちて、自分の脂で揚がったかのように、表面がこんがりと香ばしくなると、見ているだけで嬉しくなる。

以前住んでいた1DKには、ガスのコンロがなく、太い金属が渦巻状に巻いた電熱器だけだった。これがまた、十分に温度があがるのにやたらに時間がかかる代物で、ノロマという意味も兼ねて、デンデンムシと呼んでいた。

時間がかかるものだから使うのが億劫で、いろいろなものを電子レンジで「なんとかする」ことを覚えた。

塩ジャケであれば、塩の強いものを選んで、酒をかけて、レンジ。こんがりとした焼き目は望めないし、塩分とタンパクだろうか、白い塊が出て、美しくはない。仕方なく、骨を抜き、シャケの身をフォークの背でぐしぐしと潰す。熱い御飯にこのシャケをたっぷり、冷や御飯なら茶漬けもいい。がんばって細かく潰したキメの細かいのを混ぜて、ピンクのおにぎりを作ったこともあった。

ただ、御飯を何膳も食べるかというと、あんまりたくさん食べるほうじゃなかったりする‥。お粗末 m(_'_)m
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ソウメン・サイドディッシュ

流水麺のバラエティを読んでいるうちに、思い出したことがあって、トラックバックさせていただきマス。

 □

私がまだ入社3年目くらいの時。上司男性(30代半ば)と入社1~3年目の女性3人、という職場だった。上司はおだやかな人で、部下の面倒もよく見た。よくある“上司の悪口”が、ほとんどない職場だった。

職場は食品メーカー・実験系。コンロも鍋も氷も水もあった。上司の誕生日に、ソウメン・パーティをやろうということになったのは、誕生祝いは半分言い訳で、職場イベントがやりたかっただけだった気もする。上司は、毎日、愛妻弁当を持ってくる人だったので、
「×月×日は、お弁当を持たずにいらしてください、ソウメンでもゆでますから」
そう予告を入れておいた。

いくらなんでもソウメンだけでは栄養バランスに問題がある。和風のサラダと棒棒鶏とダシマキを、同僚と手分けして持参した。私の担当は、棒棒鶏だったのだが、レシピを全部書くのも面倒だ、人サマのサイトを勝手にリンクしておこう。ただこのサイトの白鶏(バイ・ヂィ)は、準備、大変すぎ(汗)。モモ肉に軽く塩をし、ショウガのかけらと長ネギ少々を貼り付けて、酒をかけ、電子レンジで「酒蒸し」にすると、楽だったりする。ちょっとパサつくかもしれないが。

そして当日。
「弁当いらない、って言ったら、家内がこれを持っていけ、と言うものだから」
上司が出したタッパーには、部下たちの分まで、野菜の煮しめと、サラダ、それに海老のてんぷらが入っていた。普段の弁当づくりより、よほど手がかかったものに見えたし、海老なんて、けっこう高そうである。
4人分の量があっては、遠慮していてもしょうがない。しっかり、いただいた。
「家内は、料理は、趣味だから」
上司がよく、嬉しそうな顔で話してあるだけあって、手料理はとてもおいしかった。

片付けの、皿洗いの最中。上司まで届かないよう、女性3人はぼそぼそ話す。
「そういえば、奥さまも、この会社だったんだって。で、職場結婚で」
「ふーん」
しばらくの、間。
「──悪いこと、したかな?」
一番若い同僚が、ぽつり、と、言った。

その後。この上司の誕生日に、イベントが行われることはなかった。
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うちのウサギは日記を書かなかった

あなたのペット自慢を!
いまはペットは飼っていないが。

最近、よく思い出すのは小学校の頃に飼っていた茶色いウサギ。ウサギといえば、白ウサギに赤い目だという人もおらるるようだが、茶色いウサギの目は、赤くない。真っ黒な、つやつやした、賢そうな瞳である。

わが家のウサギは、放し飼いにされていた。ちょうど猫を飼うように。
そして猫のように、近所を放浪した。

猫は、鳥籠の小鳥を狙うかもしれないが、鳥の飼い主は心得たもので、猫の届かない場所に鳥かごを置いておく。

しかし、ウサギの来襲を予想している人は、近所には少なかった。

庭先で丹精された草花や、ひどいときには、100m以上離れた八百屋の店先を、ウサギは襲った。とりわけ執心なのは、隣家の庭に植えられた、淡い緑が美しいシダだった。私の両親は、隣家との間にあった格子に板を張ってウサギが通れないようにしたが、ウサギは、板の下の土のところを掘りさげた。そうしてできた、狭い通路をすり抜けて、隣家への侵入を果たした。ウサギの体は、柔らかいのだ。

自分で飼うまで小学校のウサギ小屋に閉じ込められて何をする余地もない様子しか知らなかった私にとっては、驚くくらい、わが家のウサギは、工夫もできたし、根気もあった。

そのときに、ウサギは、けっこう頭のいい動物だと思った。──ひょっとしたら、日記くらいは書くのかもしれない。日々楽しみに拝読しております>ぽふさま
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きらきら

幸せのかたちブログってものを彷徨っているうちに、何かを見つけたようです。まだ出来たての新しいブログ。短編小説? 掌編、というのだろうか? あるいはある程度は事実─日記の要素を含む作品もあるのか。磨かれた、キラキラの言葉たち。どうかこれからも、貴作を読む幸福に恵まれますように。>chantikさま
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【電車男】を読んだ。

ある男性(仮称:電車男氏)が、電車の中で、暴れるヨッパライから女性(仮称:エルメス氏)を助け、その話を2ちゃんねるに書く。
2ちゃんねらーに、時には助けられ、時には煽られながら、女性と交際を始め、恋を告白するまでのスレッドをまとめたものが電車男だ。

電車男氏は、「ヲタク」である。「ヲタク」仲間の2ちゃんねらーたちが、懸命に「ヲタクの隠し方」を伝授するサマは、けなげで懸命で、滑稽で物悲しい。

 □

私が最初にチャットにはまった頃、「しゃべる」仲間は「ヲタク」ばかりだった。「おたく」と言わず「ヲタク」といい、時に「ヲ」一文字で略す癖は、当時、仲間から伝染されたものだ。

彼らは、誇り高い「ヲタク」だった。「ヲタク」であることを隠したりなんかしない。

「ヲタク」は、一度大事にすると決めたものは、とことん大事にしようとする。それをそのまま恋愛にも持ち込むから、彼らの恋は、少なくともその頂点においては、とても幸福に見えた。それを長くは維持できずに、壊れることはあるにしても。

電車男スレッドでは、「ヲタクであることは隠すこと=恥ずべきこと」がデフォルトであるようにも見える。自己嫌悪・自己否定。どうやら両思いみたいね、よかったね、でも本当にお互いを知った後まで大丈夫なのかな。そう、思ってしまった。

 □

そんな私が、ほう、と思ったのは、最後の最後。
電車男氏告白の直前の場面である。

>彼女が俺の両手を取って
>「がんばって!」
>と言ってくれた。

なんのことはない。エルメス氏は、電車男氏が無理をしていること、背伸びをしていることなど、とっくにお見通しなのだ。
>「がんばって」
とまで言って電車男氏から告白を促したあと、エルメス氏は言う。
「私も電車さんの事が好きです。だからこれからもずっと一緒にいてくれますか?」
うん、この女性なら大丈夫かもしれない。そう思った。

 □

BBSの最後まで読んで、やっと本当に安堵した。
>Q.エルメスさんにばれたらまずいのではないですか?
>A.電車男はエルメスさんに、本サイトをすでに見せられたそうです( ;゚Д゚)ガクガクブルブル
>「なんでもっと早く教えてくれなかったのw?」  助かったみたいだ・・・

「大丈夫かもしれない」ではない、「大丈夫だった」のだ。

全体を見てみると、2ちゃんねらー仲間にイロイロと煽られながらも、電車男氏は、エルメス氏に嘘をついていない。
自分がヲタクだと最初から言っているわけではないが、ヲタクでないとも言っていない。恋愛にも、ファッションにも、シャレた店を探してのデートにも、物慣れた「フリ」などしていない。

これは、私が危惧した「ヲタクを隠そうとする男性の物語」ではなく、「"いかにもヲタク"から"notヲタクの女性に似合う男性"に変貌しようとする物語」だったのだ。このスレッドを全部読めば、電車男氏がヲタクであることもわかる。が、エルメス氏にどれほど魅かれ、どれほど緊張し、どれほど努力して、告白に漕ぎつけたかも、わかる。

──そして、自分たちが、見ず知らずの人間たちからどれほど祝福されているかも。

 □

実話か、ネタか、疑う方もあるようだが。私はあえて信じてみたい。そして、遅ればせの読者として、お二人に、幸いあれと祈りたい。
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「そういえば、私、ファザコンだったよね?」

父の日に贈るメッセージは?
 そういえば、父の日も、母の日も、なんの行事もしていないが。

 コドモの頃は、ファザコンだったと思う。母にもかなり、非があった。私を叱るときに、枕言葉のように、
「パパに似て」
「パパそっくり」
が、つくのである。

 子供心に、父に肩入れするのも仕方ない。

 父と母は、似ていないと思った。
 子供と同じ目線で遊んでくれる父と、そんな父に呆れて見せる母。自分の価値観を大事にして、興味範囲外はおろそかにしがちな父と、外からの評判を気にして、なにもかも「きちんと」したがる母。私を叱るのは母で、取り成してくれるのは父だった。

 父と母が違い、父と自分が似ているということは、私は母とは違う、ということだった。
 目の前にいる母を、自分の将来に重ね合わせることができなかった。独身時代は親元にいて、結婚して家を出て、家庭をつくって母親になる。そういう自分を思い描くことができなかった。

 両親とは違う人生を歩みたい。

 勤務地まで、1時間ちょい。通えない距離ではないにもかかわらず、一人暮らしを始めた。私にとって驚いたのは、それまで私が何をしても反対するような気がしていた母は、あきらめ顔で認めてくれ、
「女の子の一人暮らしなんて」
ひどく陳腐な言葉で反対したのは父だった。私は、半ば強引に話を進め、家を出た。

 一人暮らしの条件は、一週間に一度、実家に帰ることだった。
 ある日、ドアベルを押すと、
「お帰り」
 と声がするばかりで、迎えに出てこない。勝手に鍵を開けてはいる。父と母は、向かい合って碁を打っていた。母方の祖父が碁が好きなので、相手になれば、と、習いはじめたのが、母が碁を始めたきっかけだった。だが、長年碁を続けていた祖父に追いつくわけもなく、母自身が碁の面白さに開眼して、父に相手をせがむようになったらしい。父は、嬉しそうに、母の相手をしていた。
 碁盤をはさんで向き合う両親は、なんだかひどく似て見えた。
 若いころ、あんなに違って見えたのは、子供の見誤りだったのだろうか。それとも、長い年月が二人を近づけたのだろうか。よくわからない。確かなのは、一人暮らしで距離をとったことが、私に両親をあらめて見直す機会を与えてくれた、ということだ。

 今は、二人は、碁を打っていた家をひきはらい、マンションに移り住んだ。母方の祖父は今春逝った。
 私は、といえば、ここ何年間か、父とも母とも、喧嘩をしていない。

「私、昔、ファザコンだったよね?」
 父の日に贈るメッセージ、というには、ズレてしまったけれども。
 今、面と向かって父に言ったら、父はどう答えるのだろう、などと、これを書きながら想像してしまった。
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風邪をひいた。

金曜日。勤務先で喉が痛いは、頭は痛いは、いつもにましてボーっとしてるわ。
これは風邪を引いた、と思ったが、仕事もあるし、深夜に帰宅。

体温を測ったら36.5℃。なんだ、大丈夫じゃないの、と、寝て。

ふっと意識が戻ったのは、土曜日、午後7時。

おいおいおい、もう夜だよ。

何時間飲み食いしてないのだろう、と、理屈で思うが食欲はない。
再度、体温測定、38℃。

無理にも食事をして、薬を飲んで。あまりにもたくさん寝て、さすがに眠気はないので、こんなものを書いている(w。
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ネトゲに夢中でした、でも。

あなたが夢中になれるものは

もともと、SFファンである。SF小説を読み、拙いながら、書いてもいた。

SF仲間のなかには、ファミコン→プレステ→プレステIIと、ゲームを追い続けている人もいた。
それはそれで楽しそうだったのだけれど、私は頑固に小説というメディアにしがみついていた。
一つは、小説は読むこともできるし、書くこともできる。与えられる側・与える側の相互交換性。たとえ未熟な作品であろうと、可能性として方向は逆を向きうるのだ。

そんな私をネトゲ(ネットワークゲーム)の面白さを教えたのは、やはり小説を書く若い仲間たちだった。

その1人は、あるゲームメーカーに勤めていた。つまり、私はゲームをする側にすぎないにも関わらず、ゲームを作る側の視点をある程度、分け与えられたのである。

たぶん、ゲームを「作る側」から見るという、ある種の妄想が、私をゲームにのめり込ませた一因だったと思う。

もう一つの要因は、ネトゲにおける他のユーザーの存在だ。仲間がどう動くか。誠実か。ゲームに勤勉か。知識はあるか。作戦に巧みか。それが勝敗を左右する。いわゆる、インターラクティブというやつ。

遊べるオトナ、とかなんとか言いながら、私は、ゲームの楽しさにのめりこんだ。いつのまにか、私は、物を書くことをやめていた。

 □

数年前。自分のサイトを作ったとき、私は自分の古い雑文を掘り返して、自分が書いてみたいテーマはほとんど書いてしまったような気分に浸ったのを覚えている。

だが、ごく最近。読み返すと、違和感があるのだ。自分が以前書いた文章が、今の自分とは違ってしまっている。ゲームにかまけて書くことを怠けているうちに、私のなかにはまた、言葉にして外に出せるだけ何かが貯まっているらしい。

──もう一度、何か書いてみようか。

そんな気持ちで作った、このブログなのである。
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少しだけ、手を入れる

■古い雑文■2002/08/28 (水)  Green,Green
緑が好きになったのが、いつだったかは忘れた。

思い出せる最初の記憶は、幼稚園のころ、他の女の子のように「赤」や「ピンク」が好きになれなくて、自分が「アマノジャク」であることを自覚し始めたことである。

ごく最近になって、ある方から、私のオーラが緑だと言われた。黒に近い緑に、蛍光グリーンの班があるそうである。オーラが強い、という意味ではない。彼女には、全ての人に、オーラが見えるという。だいたいの人間が、自分が好きな色のオーラをまとっているとのことである。

私には、実は、オーラというのはよくわからない。でも、尊敬する友人から、「緑」と言われたことがひどく嬉しくて。

それで、このサイトは、こんな色あいなのです。


■今の気持ち■

このブログのもともとのCSSにほんの少し手を入れて。茶色系からグリーン系へ。

上記の友人は霊が見えると言った。何かをじっと注視して、
「ねえ、あれ、本当に見えないの?」
と笑った。

それまで霊が見えるという人々を否定しがちであった私は、彼女が、霊を過度に恐れもせず、霊が見える自分への特別視も要求しないことに、強い印象をうけた。彼女にとって、霊は、他の「物質」と同様の森羅万象の一角であるように見えた。

そういえば、彼女のサイトもしばらく尋ねていない。今日あたり、行ってみるかな。。。
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