2006年 12月 07日 ( 1 )

蟲の話

 誰かが、家のなかにゴキブリを放したとする。叱られる。
「ゴキブリは、病原菌を伝播するし」
 そんな叱られ方をするかもしれない。

 別の誰かが、蜘蛛を放したとする。やはり、叱られるだろう。
「蜘蛛は、病原菌を運ぶゴキブリを取ってくれる益虫ですよ。よかれと思って放したんです」
「でも、蜘蛛を嫌いな人も多いんだ」

 蜘蛛を放したのが子供であれば。あるいはそのコミュニティとはまったく違うコミュニティで生まれ育ち、このコミュニティには来たばかりで、「蜘蛛が嫌われる」という価値観を知らなかったのであれば、多く咎められることはあるまい。

 だが、「蜘蛛が嫌われる」ことを知っていてやったのであれば。
 蜘蛛を放す前に、そのことが及ぼす影響を、もうすこしばかり考えるべきだった、という非は、少なくともあるだろう。


 100人の人がそれを知った。
「彼は蜘蛛を放しちゃいけなかった」
 99人がそう思って、そう書いた。(私も書いた) 99人には思ったことを書く言論の自由がある。
 だが99人に書かれることは、彼にとって苦痛であったとしよう。99人分の苦痛は、彼への罰だろうか。司法における罪と罰は釣り合うべきだが、これは司法ではない。この苦痛は、罪(あるいは過失)に釣り合うだろうか。

 100人目が、こう書いたとしよう。
「蜘蛛くらい、なんだ」
 ……あの方がしたかったのは、蜘蛛の話だったのだろうか?


 と。後から思ったという、愚かな話。




 これは《Y!ブログ》とはまったく関係がないが、この話題を通じて知り合った方に触発されたので、ここへいれる。
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