2006年 11月 29日 ( 2 )

批判嫌いの方を批判するのは、やはり悪趣味なのだろう>自分

「Yahoo転載機能」関連
昼休みに慌てて書いた[叱られる覚悟で言ってみる]の続編というか、本編です。

実をいえば、個人的にこの議論には加わらないつもりでいたのですがね。
だって、「善意のコピペが個人のコントロールを超えて過剰増殖していく」なんて、新潟地震チェーンメールで(あのときに)目のあたりにしたし、善意が裏目を見ていくわびしさも怖さも痛感したし。あらためて取り組まなくても、って、そう思っていたのが、本音だったんす。

ところが、ある方が、「論争のどっち陣でもなく、あの機能をあの形のままつけっぱなしにしているYahooのスタッフに腹が立つ(意訳ww)」とそっと呟いていらっしゃるのを見て、ああ、やっぱりOYAJI氏にトラバ差し上げてみようかぁって、思ったのです。

転載機能はYahooブログが提供しているブログ上での機能であり
これをYahooブログユーザーが利用規約上の範囲内でどのように利用しても
ガイドラインや利用規約的には何ら問題の無い行為 であり
この制度そのものを使ってはいけないなどと言うつもりもサラサラありません。

OYAJI氏ブログ『楽しむYahoo!ブログの作り方♪』「もう一度、転載について(5)」より

OYAJI氏はどっかでYahooブログを信じていらっしゃるんじゃないか、と。「転載機能は(プロである)Yahooのスタッフがつけたんだから、これに「使い道がないはずがない」と模索した結果が今回なんじゃないか、とか。ブログはコミュニケーションの手段で、それは「繋がり」で、「繋がり」は「帰属意識」とごっちゃになりやすくて。でも、ブログシステムは、贔屓の野球チームじゃないんすよね。ほんとは。

OYAJI氏がYahooブログを信じていらしても。Yahooがマチガッテイルという可能性も、やっぱりある。

別稿に書いたとおり、私は転載という機能を全面否定はしません。しかし、肯定するのは非常に限定的な用途であって、たとえば「文字を大きくするボタン」のように、明らかに「福祉系」の機能と同じ枠のなかに囲ってしまってもいいようなものだと、私個人は思っているわけです。
最低限でも、OYAJI氏も書いていらっしゃるとおりもっと転載であることが判りやすく、自分の記事と違う背景色が自動でつくんでも、最後ではなく最初に転載というマークが明示されるんでもいいけど、そういう視認性があるべき。それがないっていうのは、センス悪すぎ>yahooスタッフ (naver→CURURUリニューアルから何も学んでないか、単に知らないのかw)
あと、転載時に「こういう意図で転載をしました」というコメントを書く欄(そのコメントが書けない人は空欄にすればいい)って、使ってるヒトだって欲しくないのかなぁ??、で、この転載時コメントが、転載元から見られる(誰が何を書いて転載したか)ようにしたら、いくね??


あとは、これだけの論争を経たあとの、OYAJI氏の現在の心境がうかがってみたかった、というのは、あります。
「ケアさえすれば、(他記事の"転載"だけでなく)自記事の"転載推奨"もしていい」
と、いまもご自分の読者におっしゃるのか。むしろ、
「これだけのケアができないのであれば、自記事の転載推奨はしてはいけない」
とおっしゃるべきではないのか。とか。
……OYAJI氏が割いただけの時間をブログに使えるユーザーが、いったい何人いらっしゃるだろう?


私は、転載呼びかけそのものについて、OYAJI氏に悪意があったとは微塵も思ってないです。
それでも、たった一つ、OYAJI氏を批判したい。
それは、OYAJI氏が、沸き起こった議論に対して、「自分(個人)は悪くない」的な感情的な反論をしてしまわれたこと。

ブログ上での他者への『批判』はする必要が無い。むしろデメリットが大きすぎる。

同「批判の効用は何?」より

私は、批判の効用は、自分と違う意見と出会い、議論し刺激を交わしあい思考を深めること、だと思う。
OYAJI氏は、批判を嫌うあまり、「転載」ということへの議論を深める素晴らしいチャンスをみすみす逃していらっしゃるように見えたりもする。(もっとも、Yahooブログのコメント欄の文字数制限では、議論のしようもないのかもしれないが……)

まあ、こんなことは、某所で私が投げた手袋を、ひどく紳士的な礼をもって拾い上げてくださった方があったもんだから、思うことなのかもしれないけれど。


※naver→CURURUリニューアル=HTMLコピー機能が問題となって、リニューアルしたらしい。WEB小説関係でも無断転載/作者詐称被害者は多く、それなりに話題になっていたので、知ってました。。。w
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叱られる覚悟で言ってみる

[Yahoo転載機能]
転載機能論争でちらりほらりと思い出すのは、キーボードが打てないにもかかわらず、コピペだけで私とチャットをしおうせた小学生がいたことだったり。

これを言うとたぶんsugar氏に叱られるけど。
「転載機能」にもメリットはあるのだろうと思うのです。
キーボードを打てない人、小学生、老人、手/指機能の障碍、視覚の障碍*、原因は違っても「キーボードで漢字変換された文章を発信することが難しい人」が「自分の見つけた記事(しかも書き手が転載可とした記事)」を選択し展示することでWEBに参加する公開コレクション。そういう用途はあるんじゃないかと思う。

これを言うとたぶんOYAJI氏に叱られるけど。
OYAJI氏のブログの読者(ターゲット)は、そういう人じゃないように見えるのです。
「ブログを」作っている人であって、「コレクションブックを」作っている人じゃないように見える。
「ブログを」作っているなら、自分の言葉を発信することを常に意識していたいじゃないですか。とモノカキらしく言い放ってみるw (あ、これはOYAJI氏に申し上げているのではなく。OYAJI氏の記事を「自分の言葉を添えることなく」転載なさった方への感想です。)

[子供の視点]
自殺を考えるほどに追い詰められた子供がいたとして。自分のことを書かれた記事を見つけたとする。検索をかけてみたとする。ずらりと並ぶ数百のコピーを見たらどう思うんだろう、と想像してみる。コメント欄でどんな会話が交わされていようと、そこまで見にいくかしら。怯えてPCを切りそう。数百という数には、それだけの迫力がある気がする。

[ブログより大切なもの]
私ならどう書いたのだろう、と、考えてみる。
「この記事にリンクを張って、あなたの言葉でこのことを広めてください」?
これでさえ、ないな、たぶん。
「もしも子供を持つ方なら、今日だけはPCを切って、わが子を抱きしめてあげてください。『あなたが人をいじめたら悲しい、あなたが死んだらもっと悲しい』と言ってあげてください」
かもしれない。それが何かにつながる可能性のほうが、ブログであの記事を知った誰かが、大臣に手紙を出した一人の子供を助けてくれるという可能性より、高いような気がするのは私だけだろうか。

【お詫び】OYAJIさんのブログ、リンク先の記事は拝読、それ以外に、以前に数記事拝読しております(今日は開くことができませんでした)。適切なTB先が探しきれていません。というわけでsugarさんとこだけTB。

批判嫌いの方を批判するのは、やはり悪趣味なのだろう>自分 へ続きます。
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