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批判の話で、批評の話を思い出した

 O氏関連、ひろ氏のお庭をお借りして、ずっと積み残しになっていた「批判を批判すること」への批判──「批判には、人の間違いを指摘し修正する明確なメリットがある。自分自身を“無誤謬*”と信じるのでもない限り、一切の批判を禁止するのは危険でさえある」「どんなに遠まわしに、優しく丁寧に言っても(言う側が「アドバイス」と主張しても)、受ける側からみれば批判である。その意味ではO氏も他ブログへ出向いての“批判”を行っていらっしゃる。自分で批判を行いながら、他人が自分を批判することを禁止するのは、整合性を欠く」──のやりとりをさせていただいてまして。

*無誤謬:聖書無誤謬説とか法王無誤謬説とか。つまり神がかり。

 その中で、
WEBに公開する以上、「世間の常識」「ネットの常識」からみて、変なこと書いたり、したりしたら、批判は受ける“可能性がある”でしょう。それが違法でなくても。たとえば「無断リンク禁止」でも、ごく普通の(笑)チェーンテキストでも、あるいは素材サイトからの直リンクとかでも。(批判がイヤならちらしの裏にでも…、と、これぢゃ某大型掲示板の言い回しですが)
と書きました。書いたわけではありますが。

 色んなブログを見てまわって、時には思うことがあるのですよ。
「ここをそのネタでそこまで叩かなくてもいいんでないかい?」
って。

 それを思わせるものは何だろう?、とか、ちょっと考えてみた。

 一つは、「それって常識*じゃなくて、価値観の押し付け**じゃん?」ってのがある。上で「常識」って書いたけど、「まだ常識になっていない」(あるいは永遠にならない)価値観を信奉するあまり、違う価値観を持ってる人間にそれをごりごり押し付ける人っていうのがいる。押し付けている側はすでに信じ込んぢゃっているわけで、その人にとっては「常識」だったり「善悪」だったりするわけだ。
 そうすると読んでる側は批判されている側ではなくて、批判している側に「?」を持つ。そうすると大抵、誰かが「こんなコメント気にするな」とか書くわけ。

*常識:「法律に違反しちゃいかん」「それリアルに危険が及ぶよ」を含む。
**「ネット上の言論において価値観の「押し付け」というのは無理」だとワタシも思ってるってことです^^

 もう一つは、(某所に書いたけど)ブログ主のオーラねww。うちみたいに「(価値観レベルでも)批判反論OK、議論WELCOME、かかってらっさい(妖笑)」っていう心臓に剛毛が生えているブログ主もあれば、数ページ読んだだけで、「ああ、この方は優しいけども、打たれ弱そうだなぁ」って思う方のブログってのもある。

 ときどき思い出すのは、WEB小説での「辛口批評」論争。
 WEB小説の書き手にも、もっと上手くなりたいから辛口の批評が欲しい!という人と、趣味でやってるんだし、私、打たれ弱いんで辛口批評はカンベンしてよ、って人がいるわけっす。
 辛口の批評が欲しい人は、うっかりと辛口感想を書きがちで。それに、打たれ弱い作者がショックを受けて、作品を書けなくなってしまったり、サイトを閉めてしまったり。批評をした側は、「この作者さんは、ちょっとこうすれば、もっといい作品になるのに!」と信じるからこそ、手間暇かけて、批評を書き送っていたわけで……。
 そういう悲劇がそれなりに実在した末に。「辛口の感想が欲しいか欲しくないか、(感想が書かれる前に)宣言してしまえ」という呼びかけが始まったンす。(ex.感想耐性主張バナー/彪峰氏)

 こういうのって、ブログでもありえないのかなー?とは、ちょっと思います。
 「批判を受けない」のは、けっこう難しいと思うの。批判したがる人は、「批判しないで!」って書いてもやっぱり書き込んでくるし。批判してる自覚のない人も、たまにいるから。
 でも、「批判コメントにはレスをしない」、これだけで、ずいぶん楽にならないですかね? たとえば「炎上」って、たいてい、批判がきて、反論するから、ますます燃えちゃうんだよね?? あちこちのブログを見ていると、「全てのコメントにレスをしない」と宣言しているところもあるんだけれども、「コメントもらったらレスをするのが礼儀」と信じていらっしゃるブログ主さんも結構あるわけで。批判コメントが「来てから」、批判コメントだけレスをしない、って宣言すると何かとカドが立つから、「あー、自分にとって批判コメントにレスするのって大変だなぁ」と悟った時点で、たとえば……、
 管理人が自ブログにアクセスする際にいただいたコメントにすべて目を通しておりますが、批判コメントには原則としてレスをしない方針です。同じ方からの批判コメントが同内容/類似内容で繰り返される場合は、削除することがあります。

 また、当方から、「他サイト」「他ブログ」「自ブログでコメントくださった方」を批判することはないつもりです。
とかって宣言してしまって。ブログのTOPの見やすいところからリンク貼っておく。どうでっしゃろ?? 

 あ、ちなみに、うちのブログは、ワタシへの批判は別にいいんだけども。お客さま同士は乱闘禁止です^^、
 
[memo]倫理研で「批判を批判」ってあったっけ。もう一度さがしてみる^^>自分

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 ちょっと話題が「批判」からそれますが。感想耐性バナーのネタを出したのでついで。

 「甘いのも辛いのもヒッくるめて、リアクションは全く不要」というWEB小説書きを、私は知りません。リアクションが欲しいからこそ、サイトやブログを作る手間をかけて(盗作のリスクを冒してでもw)、自分が書いた原稿をWEBに載せるンす。「褒め称えよ、この俺を」の人も、「仲良くしようよ」の人もいる。「ドコが悪いんだよ、言ってくれよ!」っていう強烈な向上心の持ち主もいる。どれもこれも、自分の作品がWEBのどこにあり、どこにリアクションがあるかが限定されているから、自分の作品へのリアクションを知ることができる。それが転載でも盗作でも広いWEBのどっかへ彷徨っていっちゃって、自分のもとにリアクションが戻らないとしたら、リアクションを求めてWEBに載せている者たちはWEBに作品を出すモチベーションを失ってしまうのです。

 私は素人レベルのクリエーターが強烈な著作者意識を持つなんて、くだらないことだと思っているのです。著作権保護の対象はプロだけでいいし、権利意識を持つのも彼らだけで十分だ、(中略)他人の著作物の自由な利用が可能になれば、新たな作品を作る方法は大幅に広がります。より自由で、潤沢な材料が揃った環境が用意されれれば、今では考えられないような素晴らしい成果物がどんどん生み出されるに違いない。

徳保隆夫氏・備忘録

 素人だからこそ、著作権でしか守ってもらえないんじゃないか?、と思います。金になるプロなら、民法的な損害賠償のアプローチでもなんとかなりそうな気がする……。
 WEBに作品を出すモチベーションがなくなれば、アレンジすべき「材料」なんざ枯渇していくのでは? 素朴な疑問です。