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グレイを求めて、白い石を置く ~ トンコ氏への私信

 コメント欄に『「ショットバー転載」問題について』のURLのお知らせをいただきまして、ありがとうございます。相変わらず、トラックバックが不調のようで。《eXcite》が悪いのか、(《eXcite》が主張するとおり)スパムによる過負荷による不具合なのかは、判らないのだけれど。こちらから《Y!》へのトラバもなかなか通りません。

 お書きになった記事のなかに、小さな、けれど意味のある相違点を感じました。
この記事は例の「ショットバー転載」自体には問題を感じなかった、むしろ写真によってOYAJIさんの性別・年恰好が分って安堵したということが述べられ、

強調は引用者

私は“大きな”問題を感じなかった。

元記事、強調は今回付与

 “大きな”問題を感じないことと、“何も”問題を感じないことは別のことです。

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 今回のことに限らず、なのですが。

 グレイだと思った場に、黒い石しか置いていなかったら、私はそこにグレイではなく、白い石を置いてしまう癖があるのだと思います。その全体を眺める人の中で、黒と白の配置が、全体としてグレイとなることを願って。

 転載記事も、トンコさんにとっては、黒だった。私はグレイだと思った。クリスマス停戦とか色んなことがあって、言いたいことを言い尽くさないでいることに、ずっと心残りがありました。
 あの場の色あいと、自分の感覚の“色差”を、読み解き書き残す行為は、私にとっては必要だったけれど、トンコさんから見れば不快でしかなかったのかもしれない。不快、の一語に落とし込むのは言い過ぎでしょうか、記事の行間に感じるいらだちをあえて表現したと思ってください。

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 ご質問を逐条的に扱うのはどうだろうと思う面もあったのですが、せっかくきちんと整理していただいたので、正面から取り組む気持ちをこめてお答えしようと思います。

(1)わたしはOYAJIさん(に限りませんが)が男であっても女であっても、年齢が10代だろうが60代だろうが気にしたことがありません。議論であれば書かれていることが全てです。なぜ実人格にこだわるのでしょう?それが理解できません。
 議論をするときに“いつも”リアル年齢や性別にこだわるか、というと、そんなことはありません。トンコさんにも年齢をお尋ねしたことはなかったと思います。
 けれど、対立“のみ”の相手は別として、議論を通して相手を理解しようとするとき、私の場合はですが、どこか共鳴のための「フック」を必要とします。それが、その人が書いた1本のアーティクルである場合もあれば、同じ本や作家を好むということである場合もあります。
 OYAJI氏の場合は、「年代」が「フック」の一つでした。さらに正確にいえば、
・近い年代に属し、
・同じ時代にパソコン通信を経験し、
・その背景をもって現在、初心者ヘルプ・ボランティアをしている
ということです。(この論争の参加者のなかでは、仙人氏/sugar氏が同じフックで繋がっています……、仙人氏はボランティアではなくプロでいらっしゃるのかもしれませんが)
 同じ本を好むことをフックに近付いた人が「実はその本は読んでない」ということになれば、共感は迷子になってしまいます。私がOYAJI氏に関して、(少なくともあの時点で)年代にこだわりをもったのはそのせいです。(OYAJI氏に関しては、別の理由でフックが切れてしまいましたが……)
(2)「周辺状況」というのが非公開のやりとりを含んでいるとしたら、当然非公開部分は当事者以外分りません。「失言」とされていることも非公開であれば知りようは無いし、そのことをもって阿檀さんが負うべき責めは無いと思います。書かれ公開されていることが全てではありませんか。
 これはきちんと区別せずに書かなかったのが申し訳ないです。トンコさん、牛男さんが「確認なさっているのだろうか」と疑問に感じたのは、OYAJI氏のブログに「転載前にコメントを」という明示がないという点、それから(これは「私が書くべき」と考えた理由にもなりますが)私のブログのコメント欄で、「明確な“添え書き”を全ての記事の中に行なっております」と明言されている点です。
(ちょっとだけ話題がそれますが、前記事にいただいた牛男さんのコメント(01-07 19:12)。「ブログというのは「世界に公開された」という面と「疑似環境で出会った人たちと交流する」という側面がある」というのは、心情としては解ります。けれど“初心者ヘルプ”としての私は、「牛男さん、“世界に公開された”という面に目を瞑ろうというのは、危なすぎます」と悲鳴を上げてしまう部分もあるのです)

 ここを読んでくださる方たちが預かり知らない場所での失言をあえて挙げたのは、仙人さんの転載の意図──意図でさえないのかもしれません、もしかしたら、転載記事を選択なさった時の“無意識”の部分への影響──を推測するためのものです。……推測でしかありません。ハズレなのかもしれませんし。無意識の領域であれば、ご本人でさえ判らないということだって、ありうるわけです。
(3)阿檀さんは転載機能撤廃、転載機能不使用を主張されているわけですが、「ショットバー転載」を最初に見たとき何故この転載も他の転載同様良くないと思わなかったのでしょうか。
(4)茶化しや罵倒が見られるくらい議論沸騰中に、議論と無関係なくつろいだ写真入りの記事を転載する(無限転載が止まらない状態にする)ことを、転載可として公開しているんだから何も問題は無いと心底から思われますか?
 他人のブログのコメント欄にバカと書くのも、賛同はできません。ブクマコメントにアホと書くのも、賛同はできません。世界には賛同できないことはたくさんあり、Webのなかにも、身近な場所にもたくさんあります。そして、この転載にトンコ氏・牛男氏・滝川クリスタル氏ほどの反発を感じなかったと表明したからといって、ではお前は自分で記事を見つけていたら、自分でも転載をしたか?、と問い直されば、答えは“No”です。
 けれど、私の《Y!》ブログには転載でいただいて来た記事が1つだけあります。「どうせ誰も転載しない」と書かれた転載可能記事を転載してくることが、「転載反対派としてどうなの!!」と詰めよられたら、私も、「ごめん、半分イタズラ^^;」と答えるしかありません。(もう半分の理由だけ、コメント欄に書いてあります)

 仙人氏の転載に私が感じた、理屈と感情。理屈…法律とか契約的な物の見方…については前稿に書いたつもりでいます。

 感情的なことは、書いていないですね。
 トンコさんに限らず、普通に見たら、仙人氏のブログは、罵倒(12/13),擁護(12/18),転載(12/24),と、目まぐるしく変化してみえたのではないでしょうか。
 これは想像でしかないのですが、この期間に、仙人氏は、OYAJI氏のブログへのファン登録で、私が知らない書庫まで読み込んでいらっしゃったのではないかと思います。私のほうは、それをする代わりに、コメント欄でいただいたヒントを頼りに、仙人氏のほうの人となりを追っかけていました(笑)
 私は、転載記事を、擁護記事(12/18)の文脈上で読んでいました。それが受け取り方の感情面での「ズレ」の一因だろうと思います。

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 前稿と今稿が、私が、グレイだと思った場に置く白い石です。

 いったん黒い石が並んでしまった場に、白い石を置くことは、本当は危険なことです。その石には、説得力がなければ、“反発”の感情が、黒をグレイにするどころか、漆黒にしてしまうでしょう。
 それを知りつつ、何もせずに諦めるということが、私はとても下手です。無言でいると賛意を示したような気がしてしまう(あの転載を見てすぐに自分が何もコメントしなかったことに関して、“看過の罪”と表現したのは、そういうことです)。
 書きたいこと/書くべきこと、あえて加えれば「自分しか書けないであろうこと」があるのに何も書かないのであれば……、ブロガーでいる価値もない、“イッソ、ヤメチマエ”と、どこかで思っているのでしょう。それは中庸を現しきれない自分の力不足への、開き直りでしかない。それも、自覚はしているのです。