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Not a fish

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 なぜ自分が、かつては《FC2》で、現在は《eXcite掲示板》で、「回答屋」を名乗ろうとするか。
 そのモチベーションの本質を、忘れないようにしようと思う。
 役に立ったような気がする。求められているような気がする。WEBというものと繋がったような気がする。
 それは願望にすぎず、裏を返せば幻想であり妄想であることを忘れないようにしようと思う。たいていの場合、私が答えなくても、誰かが答える。私という個人は、QとAのやりとりのなかで、必須要素ではないのだ。
 もともと、私のスキルは高くない。《FC2》でも《eXcite》でも、答えるだけの知識のない質問は多い。もしなにか取り得があるとしたら、文章を量うつことをあまり苦にしないことくらいだ。《FC2》では明確にハイスキルグループが答える設問を減らす間引き担当だったし、《eXcite》ではたまたま回答サイドに人の少ない時期に流れ着いたにすぎない。
 質問者と回答者の間の繋がりは、薄い。質問がある、回答をする、よくして、短い謝礼の書き込み。それで終わり。ほとんどの質問者は、自分の疑問が解消されたら、次に疑問をもつまで掲示板を閲覧したりしないし、2度と覗かない質問者も多いはずだ。誰が回答したかなんて、憶えている人は非常に少ないだろう。それは、「繋がり」と呼ぶのもおこがましい、束の間のものだ。

 小説書きには、自分の書いたモノを、あっさりと「我が子」と呼ぶ者が多い。そもそもそれ自体がある種のレトリックにすぎない。
 SF書きである私は、技術を文字であらわすことを自分の小説で繰り返してきた、それゆえに「回答屋」として書いたものと小説の境界が曖昧になりがちなのだ。などということは、私独りの特殊事情である。もちろん、回答ほどの頻度で小説を書くわけではないし、長さも違う。思い入れの多寡を問うなら、回答に持つ感情の量は、小説ほどではない。それでも、いまだどうしても、ゼロにすることに成功しない。
 《FC2》では、モデレータが重複質問を回答ごと消す。それはフォーラム維持に必要であって、一ユーザーが不服を唱えることではない。《eXcite掲示板》では、少なくとも現状のところ、時間経過とともに勝手に消える。
 
 魚は夥しい卵を産んで、海に任せる。卵は、他の生き物に喰われたり、波や渦で無為に潰されたりする。魚の脳は小さく、感情があるかどうかわからない。愛惜や哀愁の感情をそれにかぶせるのは、人の勝手であり、まして、書いた文章を消される回答屋という現在の自分をそれに重ねるのは、客観的にナンセンスだ。

 私は、自分が卵を喰われる魚ではないことを覚えておかなければならない。忘れずにいなければならない。

こういうン出すから、あぶないもの書いてるって言われるのねwww